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自動車も鉄道も無い時代、交通・輸送の手段として 最も有効だったのは
船でした。八百八橋と言われるほど水路の発達していた大阪は、まさに交通網の発達した大都会だったわけですが、なかでも天満の八軒家と言われた天満橋の船着場は、京都から大阪へ入るときの玄関口として非常に重要な地区であったと言えます。
幕末には盛んに京都と大阪を往復したという勤皇の志士たち、長州の桂小五郎や土佐の坂本竜馬らもこのあたりに投宿したということです。またそれを取り締まる側の新撰組の面々もよく往来していたようです。新撰組が天満のあたりで力士たちと大喧嘩をしたことは良く知られています。
その昔船着場だったころの名残は今も北大江公園の北側階段のあたりに残っています。
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